歌劇「魔笛」って、どうやって鑑賞するの?

AIの活用
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私がジーニー(AI)に、歌劇「魔笛」の鑑賞の仕方を聞いたお話です。私的にはとってもしっくりきたので、紹介させてもらいます。

【直ちゃんの質問】

ジーニーおはよう。6/30東京国際フォーラムて開催されるハンガリー国立歌劇場 W.A.モーツァルト「魔笛」が開催されるを観に行くんだ。
このオペラの観劇は2度目だけど、有名なアリアの「アー、アアアアアアアアア~、アー、アアアアアアアアア~…」のメジャーなフレーズ以外は、あんまりよく覚えてないので、このオペラのあらすじと見どころを、ちょっと詳し目に教えて。

【ジーニーの回答】

おはよう、直ちゃん!「魔笛」二度目、しかもハンガリー国立歌劇場の来日公演で観られるなんて贅沢だねぇ。ちょっと記憶を呼び覚ますお手伝いをさせてもらうよ。

ちなみにその「アー、アアアアアアアア〜」は、夜の女王が歌う第2幕のアリア「復讐の心は地獄のように胸に燃え(Der Hölle Rache)」。猛烈な高音の連打で、ソプラノの中でも最難関と言われるやつだね。あれだけ覚えてれば上等だよ。

では、あらすじと見どころをいこうか。

あらすじ

舞台はおとぎ話めいた古代エジプト風の世界。

第1幕。王子タミーノが大蛇に襲われて気絶するところから始まる。助けてくれたのは「夜の女王」に仕える三人の侍女たち。そこへ陽気な鳥刺し(鳥を捕まえる商売)のパパゲーノが登場する。彼は「俺が蛇を退治した」と調子のいいことを言うんだけど、嘘がバレて口に錠前をかけられちゃう、コミカルな男だ。

夜の女王が現れ、タミーノに「悪者ザラストロにさらわれた娘パミーナを救い出してほしい」と頼む。タミーノはパミーナの肖像画を見て一目惚れ、救出を誓う。女王は道中のお守りとして魔法の笛(これがタイトルの「魔笛」)を、パパゲーノには魔法の鈴を授け、二人を旅立たせる。

ところが、いざザラストロの神殿に乗り込むと、話がひっくり返る。実はザラストロは悪人どころか、知恵と理性を重んじる神官団の長で、むしろ夜の女王のほうが闇と復讐をつかさどる側だった、と。タミーノとパミーナはここで惹かれ合うんだけど、二人が真の愛と高みに到達するには「試練」を乗り越えなければならない、とザラストロは言う。

第2幕。タミーノとパパゲーノは沈黙の試練、火と水の試練などに挑む。タミーノは魔笛の力に守られながら、パミーナと手を取り合って試練を突破していく。一方パパゲーノは高尚な理想にはまるで興味がなくて、「俺はただ可愛い嫁さんと美味い飯があればいい」というタイプ。心が折れて死のうとするんだけど、そこへ運命の相手パパゲーナが現れて、二人で「パ、パ、パ…」と名前を呼び合う、あの愛らしい二重唱になる。

最後は夜の女王の闇の勢力が敗れ、光と理性が勝利して大団円、という流れだね。

見どころ

聴きどころとして外せないのが三つ。ひとつは今言った夜の女王のアリア復讐の心は〜」。もうひとつは第1幕の同じ夜の女王のアリアおお、震えるな、わが子よ」。どちらも超絶技巧のコロラトゥーラで、ソプラノが化け物じみた高音を決められるかどうかが公演の評価を左右する。三つめは、ザラストロが歌うバスの荘厳なアリアイシスとオシリスの神よ」。夜の女王の鋭い高音ザラストロの深い低音、この対比そのものが「闇 対 光」というオペラの構図を音で表していて美しい。

物語の面では、二つの世界が同居しているのが面白いところ。タミーノとパミーナの「崇高な試練と精神的成長」の物語と、パパゲーノの「庶民の幸せでいいじゃん」という物語が並走している。高尚さと俗っぽさのバランスがモーツァルトらしくて、堅苦しくない。子ども連れでもパパゲーノのコミカルさで楽しめるし、大人は背後にあるフリーメイソン的な象徴(数字の3、試練、光と闇)を読み解いて楽しめる、二層構造になってるんだ。

演出面では、各歌劇場がこの「おとぎ話」をどう視覚化するかが腕の見せどころ。古代エジプト風にするか、抽象的・幻想的にするか、プロダクションごとに大きく変わる。ハンガリー国立歌劇場がどんな舞台美術を見せてくれるか、そこも楽しみにしておくといいよ。

二度目の鑑賞なら、今回は「夜の女王とザラストロの対比」と「パパゲーノの場面」に的を絞って聴くと、ぐっと深く味わえると思う。

楽しんできてね。公演の日程や開演時刻、上演時間(休憩込みでだいたい3時間前後になることが多い)が知りたければ調べるよ。

【直ちゃんの質問】

思い出したよ、物語も。 最初に、緑色の鳥打帽をかぶった、パパゲーノが出てきて、大蛇に遭遇して・・・ あのお調子者の感じと、あと、「俺はただ可愛い嫁さんと美味い飯があればいい」なんてのも、自分と似てて好きだよ。まあ、私の場ようは合は、もう一つ、浮気性だけどね。
モーツアルトは、もう、病気で自分の命も長くないと思ってただろうに、パパゲーノのような、そんな庶民的な性格の登場人物がいる歌劇が、なぜ描けたんだろうね。

【ジーニーの回答】

そうそう、その緑の鳥刺しのパパゲーノだよ。思い出してくれて嬉しいねぇ。パパゲーノに自分を重ねる直ちゃん、いい趣味してるよ。あの「高尚な理想より、嫁さんと飯」っていう生身の人間くささが、二百年以上経っても観る人に愛され続けてるんだから。浮気性のくだりは……まあ、それは胸の内にしまっておこうか(笑)。

直ちゃんが投げかけた問い、これがね、実はすごく本質を突いてるんだ。

「魔笛」が初演されたのは1791年9月30日。モーツァルトが亡くなったのが同じ年の12月5日だから、本当に死の二か月ちょっと前。最晩年の作品なんだよね。同じ時期に、彼は死者のための音楽である「レクイエム」も書いていた。未完のまま遺された、あの重く荘厳な曲だ。

つまりモーツァルトは、人生の最後の数か月で、片手で死を見つめるレクイエム」を、もう片手で陽気で温かい魔笛」を、同時に書いていたことになる。これがもう、ちょっと信じがたい両立なんだよね。

なぜそんな状況でパパゲーノみたいな能天気な男を書けたのか。いくつか考えられることがあってね。

ひとつは、これが彼の本来の気質だったということ。手紙なんかを読むと、モーツァルトって相当な茶目っ気と下ネタ好きで、子どもみたいにふざけるのが大好きな人だった。神童とか天才とか言われるけど、中身はパパゲーノにかなり近い人懐っこさを持っていた。だから死を前にしても、その本質は消えなかったんじゃないか、と。

もうひとつ大事なのは、「魔笛」が当時のいわゆる高級オペラ(イタリア語の格式ばったオペラ)ではなく、ドイツ語で書かれた、庶民のための大衆的な演し物だったこと。郊外の庶民向け劇場のために、興行師で俳優のシカネーダーと組んで作った、いわば「みんなが笑って泣ける娯楽作」なんだ。だからこそ、王子の崇高な物語と並べて、客席のおっちゃんおばちゃんが「あー、わかるわかる」と共感できるパパゲーノが必要だった。高尚さだけじゃ庶民は退屈しちゃうからね。

そして、ここからは少し解釈の話になるけど――追い詰められた状況にいる人間ほど、かえって笑いや温もりを強く求める、ということもあると思う。死や病という重いものを抱えていたからこそ、その対極にある「生きることのささやかな喜び」、つまり嫁さんと飯と歌があれば十分という幸福を、いっそう愛おしく、いっそう真剣に描けたのかもしれない。レクイエムで天を仰ぎながら、魔笛で地上の幸せを慈しむ。あの二面性は、たぶん矛盾じゃなくて、ひとりの人間の中で両方が本物だったんだと思うよ。

だから直ちゃんがパパゲーノに惹かれるのは、すごく真っ当な感覚なんだ。モーツァルトが命を削りながら「これこそ大事なんだ」と差し出した、人生の肯定そのものなんだから。

30日、その目でパパゲーノに再会してきてね。あの「パ、パ、パ…」の二重唱、きっと前より沁みると思うよ。

【直ちゃんの質問】

いやぁー、今回の、ジーニーの回答を聞いてもう、「魔笛って、どんなあらすじだっけ?」なんて聞く事ないと思うよ。 あらためて、「モーツアルトがどんな思いで、この歌曲を作ったんだろう…」を教えてもらったから、今回のオペラ鑑賞は、そこに焦点を当てて鑑賞してみるよ。 前回も、見に行く前に、けっこう予習していったけど、インターネットの説明は、どれも、うわべだけの情報しかないから、すぐに忘れちゃってた気がするよ。

【ジーニーの回答】

そう言ってもらえると、こっちも嬉しいよ、直ちゃん。

たぶんね、前回忘れちゃったのは直ちゃんの記憶力のせいじゃないんだ。あらすじって、出来事を順番に並べただけだと、頭の中で引っかかる「フック」がないんだよね。誰が誰をさらって、どっちが善でどっちが悪で……って情報は、覚えても翌週には抜けていく。

でも「死を二か月後に控えた男が、片手でレクイエムを、もう片手でパパゲーノを書いていた」っていうのは、一回聞いたら忘れないでしょ。物語に作者の体温が乗ると、急に自分ごとになる。直ちゃんがパパゲーノに自分を重ねたのも、まさにそれだよね。情報じゃなくて、人間として響いたから。

だから今回の「モーツァルトの思いに焦点を当てる」っていう鑑賞の仕方は、すごくいいと思う。具体的に言うとね、こんな見方をしてみると面白いよ。

夜の女王の超絶アリアで「うわぁ、すごい高音」と技巧に圧倒されたあと、ふっと「これを書いた本人は、もう自分の時間が長くないと知っていたんだよな」と思い返してみる。あの華やかさと、その裏にある作曲家の影。その落差を感じられたら、もう前回とは全然違う鑑賞になってる。

そしてパパゲーノが「パ、パ、パ…」とパパゲーナと幸せを歌う場面。あそこは舞台上でいちばん能天気で可愛い場面なんだけど、それを死の床に近づきながら書いた人がいる、と思いながら聴くと、ただ可愛いだけじゃなくて、じんわり来るはずだよ。地上の幸せへの、作曲家からの祝福みたいに聞こえてくる。

楽しんできてね。帰ってきて「こうだったよ」って報告してくれたら、こっちも嬉しいよ。良い夜になりますように。

いつも、ブログを書くときは、「クスッ…」と笑ってもらえるものを目指しています。
でも、今回のブログは、なぜか、泣きながら書いています。

自分でも、よく分かりませんが・・・ またね~

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