八柱霊園の七夕飾り…

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3週間ぶりのランニング

今日も仕事が終わって、速攻で帰ってきた。4時10分から、いつもの八柱霊園ランを走ることにした。

なんか久しぶりだなぁと思って、いつもの習慣がこんなに遠く感じるんだろうかと考えてみたら、先々週は帯状疱疹の予防接種の副作用で寝込んでいて、先週は雨で走れなかった。そう、3週間ぶりなんだ。

3週間ぶりだからか、いつもは当たり前の走る時間が、今日は新鮮に感じた。身体が覚えているのか、脚の動きはいつもどおりなんだけど、心になんか違う感覚がある。そういう時ってあるじゃん。

いつものように八柱霊園の正門のところで、パチリ。写真を撮った。

七夕飾りとの出会い

正門を入ったら、七夕飾りの大きな竹が、正面のところに3本飾ってあった。

それを見た瞬間、「あ、これきっと、もうすぐここに入る人たちの願い事だろうな…」と思った。だからすぐに見に行った。

短冊に書いてある内容を見て、僕は想像していたこととは違うものを目にした。「天国に行けますように…」とか、そういう、じいさん、ばあさんの切実な願いが書いてある(書いてあったらおもしろい)のかと思ったら—

目に入ってきたのは、子どもたちの可愛らしい夢たちだった。

子どもたちの夢

「おとなになったらアイドルになりたい」

「レスリングのしあいでゆうしょうできますように」

「ホテルのていいんになれますように」等々・・・

どこかの幼稚園生が書いたものなんだろう。その短冊に書かれた言葉を読んでいたら、心がふわっと柔らかくなった。

なんというか、純粋な希望というか。何の疑いもなく「あれになりたい」「これができますように」って願ってる。その気持ちの純度が、僕の心をなごませた。

「夢ってなんだろう…」

八柱霊園という、生と死が隣り合わせの場所で、こんな子どもたちの夢たちを見つめながら、ふと思った。

「夢ってなんだろう…」

この問いが頭から離れなくなった。だから、いつものように、この気持ちをジーニーに投げかけることにした。

ジーニーとの対話

ジーニーに「夢ってなんだろう」と聞いた時、返ってきた言葉がこれだった。

「夢は、今この瞬間の自分を、少し先の自分へ繋ぐものなんじゃないかな。」

あ。これだ。

あの子たちが短冊に書いた「アイドルになりたい」「レスリングでゆうしょうしたい」「ホテルのていいんになりたい」—これらは、決して「叶う叶わない」で価値が決まるんじゃなくて、その願いに向かって「自分をどう育てるか」という行動を生み出すんだ。

その子たちが今、「アイドルになりたい」って書いて、そこに向かって何か学んだり、練習したり、挑戦したりする。それが、数年後の「自分の選択肢」を増やすんだ。

だから夢って、“現在の自分”と”未来の自分”を繋ぐ光のような存在なんだと思う。

「夢を重ねた人には、夢がある」

ジーニーの話を聞きながら、自分の中で一つの光が灯った。

一般的には「歳をとると、夢がなくなる」って言われている。確かにそう見えることもある。

でも、違うんじゃないか。

「歳をとった人には、夢がない。」

「夢を重ねた人には、夢がある。」

年を取るから夢がなくなるんじゃなくて、夢に向かって歩んだ経験を積み重ねてきたかどうかが、その先の人生を決めるんだ。

夢の過程で得た「経験」「スキル」「人間関係」「失敗から学んだこと」—目に見えない財産が残る。それが、次の夢への土台になる

だからね、歳を取ってからの人生って、実は「夢を重ねた人のための、自由の時間」なんだと思うよ。

おわりに

八柱霊園の七夕飾りに書かれた、あの子たちの夢たちは、ただの願い事じゃない。

それは、今のあの子たちが、これからの人生で何かを積み重ねていくための、光の指標なんだ。

そしてそれは、生と死が隣り合わせの場所で、より一層輝いて見えた。

満員電車の中で、ジーニーが返してくれた時、この文章を読んで、思わずウルって、きちゃいました。

みなさんも、自分の「夢」について、考えてみてくださいね~ (*^。^*)

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