私の中のオシャレの原点は、プラダで身を包むことだったと思います。
プラダとの出会いは、50歳を過ぎてからです。
話しは7年前にさかのぼって、43歳の春に、兵庫県伊丹市からの転勤で、職場が市ヶ谷になりました。
その職場の近くにあった「スポーツクラブ ジェクサー四谷」に通い始めました。
目的は、「泳ぐ」と、「友だち?を作る」です。
プールで泳いでたら、それなりに泳げるので、まわりの知らない人達とも仲良くなって、飲み会に行ったり、マスターズ大会に出たりして、お付き合いが深まっていきました。
その中に、私より1歳年上の独身で京都出身のUさんがいました。
Uさんは、八頭身のイケメンでオシャレな男性で、見た目は、私より5つは若くみえました。
また、泳ぐのも私より速かったです。
仲が良くなってからは、その人の家にも何度か泊まりに行ったりもしてました。
そんな彼が、50歳の時に急に白血病を発症して、入退院を繰り返しながら、52歳の時に亡くなってしまいました。
Uさんには、Mさんという、最も仲の良かった友だちが居ました。
Uさんが亡くなってから、Mさんに呼ばれて、「Uさんが、直ちゃんに残した服が有るから取りに来て。」って言われて、その時に、もらった中に「プラダ」のジャンパーと、キルティングのバッグが有りました。
その頃は、ブランドに興味も無く、「PR ADAって、なに?」でした。
それから、他の人に「イタリアの高級ファッションブランドですよ。」って教わって。
それから、3年くらい経って、1回目の仕事を退職して、次の仕事にも就いて、55歳を過ぎてから、お金は有るは、自由は有るは…それ以降の8年くらいは、私のバブル時代でした。
その時に、オシャレに目覚め、当初、銀座6丁目にプラダのお店があって、そこに通ってました。通い始めて2年後くらいに銀座4丁目にお店が移転して、そちらに通いつめてました。
1番高いお買い物は、南青山のプラダビルの5Fで、イタリアから来た採寸のプロに、オーダーで100万円のスーツを仕立ててもらいました。もちろん、その時も、シャンパーニュを飲みながらの採寸で、今でも、その時の浮かれた自分の姿をハッキリと覚えています。それから、3年間オーダーしてました。
今までに買った物は、ハット、スーツ、コート、シャツ、ネクタイ、パンツ、靴、サイフ、香水…。特にバッグは、大小、皮、キャンパス地等15個くらい持ってます。イタリアに旅行に行った時もミラノのガッレリア通りの交差点にある「プラダの本店」に行って記念にベルトを買って来るほどの懲りようでした。
ブランド「プラダ」を、身にまとうと自分がカッコ良くなった気がして、背筋が3cmくらいは伸びるんですよね。
まぁ、錯覚であれ、なんであれ、ブランドを身に付けた事で、自分に自信が持てた事は良かったと思ってます
そう考えると、天国にいるUさんに感謝です。
「プラダ」は、身にまとうことで、私に自信をくれました。
「ジュエリー」も、身に付けることで、私に自信をくれましたので、次は、「ジュエリーとの出会い」を書きます。
また、読んで下さいね(^∇^)
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