高校の同窓会で、50年前にタイムスリップしたお話しです。
16(土)、午前中に、実家の近くで、「宇宙について」の講話を聴いてから、
午後、同窓会に行くため、クルマで、近鉄長島駅まで、送ってもらいました。
長島駅のベンチで、さっそく、中学校の同級生に会いました。
声をかけたまではよかったのですが、名前が違って…
それから、ベンチで話しをしてたら、高校も同じで、「これから同窓会に行くんです。太田君、私の名前も間違えてるし、同じ高校だったの覚えてないの。」って、いきなり叱られちゃいました。
電車に乗って約20分、ずっとおしゃべりしてたら、あっという間に四日市駅に着きました。
会場のホテルに着いて、5Fの受付に。
受付には、何人かの同級生(と思う人)がいましたが、名前は分からなかったです。
ただ、幼稚園のときから、一緒だった👩🏻曜子ちゃんが受付に居たので、その指示に従って、一次会と、二次会の会費を払って、胸に「太田直人」と書いたシールの名札を貼って、曜子ちゃんに、「卒業アルバムを貸して。」ってお願いしてたので、それを借りて、指定されたA席に行きました。
このアルバムがないと、同級生の顔と、名札を見ても、誰かわからないんです。
1テーブル10人席で、私が席についた時には、もう、5人くらい居ました。
1人づつ、顔を見て挨拶をしながら、名札を見て、名前を確認して、卒業アルバムで、その名前を探して、スッーと分かる人もいれば、わからない人も、何人か居ました。
もちろん、わかったふりをしてましたが。
それから、司会者から同窓会の開会に先立ち、恩師や同級生で亡くなった方が20名おられますのでとのことで、全員で「黙祷」し、その後、同窓会が始まりました。
「同窓会は、黙祷から始まる。」そんな歳になったんだなぁ…と改めて思いました。
それから乾杯で始まり、同じテーブルの同級生とひとしきり、高校時代のお話ししましたので、次に他のテーブルをまわりました。
ここでも、顔を見て、胸の名札を呼んで、アルバムの写真と見比べて、
「あぁー、〇〇くん」とか、「あぁー、△△ちゃん」の繰り返しでした。
そんな風にしてアルバムの顔写真を眺めてると、あらためて、女の子は、みんなとっても可愛いし、男の子も、可愛い子や、凛々しい子ばかりでした。
【直ちゃんの高校3年生の時の顔】
【曜子ちゃんの高校3年生の時の顔】
きっと、卒業アルバムの同級生の「顔写真を見る目」が、今は、「おじいちゃんが、孫のアルバムを見る目」になったんだろうなぁ…なんて思いながら、卒業アルバムを見てました。
あと、ちょっと嬉しかった話しもありました。
私は、高校生の時は、「勉強は、ビリの落ちこぼれ」、「運動は、バレー部で万年補欠」でしたので、高校生活でいい思い出は、ほとんどありませんでしたが、
今回の同窓会で、2つの嬉しい話しがありました。
1つは、B君から、「校内マラソン大会で、太田くん、陸上部を押さえて1番でゴールしたんだよね。あのときは、みんなびっくりしてたよなぁ。」と、
自分でも、うっすらと覚えましたので、その話しをしてもらって、あらためて嬉しかったです。
2つ目は、私は、実家から、高校まで約1時間かけて、自転車通学してました。
たまに、自転車がパンクすると、どうしようもなくなるので、自転車にパンク修理キットを積んで通学してました。
C君から、「学校から自転車で帰るとき、自転車がパンクして、困ってる時に、太田くんが通りかかって、パンクを直してくれて助かったよ。」
この話しは、自分では、まったく覚えてませんが、1つでも同級生に喜んでもらえることをした高校生の自分がちょっと誇らしく思えました。
今回の同窓会に集まった50人は、
50年前は、同じ校舎で、授業を受け、同じグラウンドで、汗を流してたから、
ある意味、あの3年間は、「同じ人生」だったと思います。
その後、卒業してからの50年は、
みんな別々の、いろいろな人生を歩んできました。
お互いが、いわゆる「他人になった。」と思います。
その他人になった50人が、あの3時間だけは、50年前に戻って「同じ人生」を3時間だけ、一緒に歩いた。
なんか、上手く表現できませんが、
同窓会の時は、みんなで手を繋いで、🛸タイムマシンに乗ったんだと思っています。
みなさんも、同窓会のお誘いがありましたら🛸タイムマシンに乗るチャンスですから、ぜひ、出席して、その時感じたお話しを聞かせて下さいね。
それでは、またね〜 (^.^)
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